西洋思想の源流から見る倫理学

ソクラテスという人

ソクラテスは、謎に満ちた人です。彼の姿はいつも老人として描かれます。若いソクラテスについての記録と言えば、プラトンの『ソクラテスの弁明』の中で彼自身が兵役を二度勤めた事などを語っているだけです。それは何故でしょうか。

あるいは、彼の思想上の意味がどこにあるにせよ、もっと「客観的」に彼の生涯を再現してみる事は出来ないのでしょうか。前回話した「ホメロス問題」と同じように、世に「ソクラテス問題」というと、描くソクラテス像には読者の数だけ異なったものがあるとさえ言えるような状況になっています。


note ホメロス問題とは、『イリアス』『オデュッセイア』の作者を確定しようとする際に生じる様々な困難を指す。主な立場に以下のものがある。

「統一論」とは、それぞれの作品が最終的には一人の作者によって作られたとする立場。「分析論」とは、『イリアス』成立以前の長期間にわたる口承を経て、ペイシストラトスが文字に固定し、その後も改変が加え続けられアレクサンドリアの古典学者たちの下に伝わったとする立場。「新分析論」とか「口承詩論」と呼ばれるものは、口伝の英雄叙事詩が記憶によって創作され、後に文字が使われるようになると書き留められたとする立場。


ソクラテス自身は著作を残さず、プラトンによる『ソクラテスの弁明』を始めとするその名も「ソクラテス的対話篇(Socratic Dialogues)」と呼ばれる著作群、歴史家にして文学者クセノフォンの『ソクラテスの思い出』や『ソクラテスの弁明』など、さらには喜劇作家のアリストファネスの『雲』等が一次資料と考えられます。

ここでアリストテレスを含めない事が気になる人もいるかも知れませんが、彼がアテナイにやってきたのはソクラテスの死後です。ですからアリストテレスのソクラテス観は、主に師のプラトンを通じて形成されたと今は考えておきます。

あるいは前々回に少し触れた小ソクラテス学派が、同じソクラテスという男に触発されて生まれたのに、対立さえするような様々な思想上の立場を持っていた点を考えて見るのも事情を明らかにするのに役立つかも知れません。

今「客観的」ソクラテス像と言いましたが、そのような像を想定する事は、そもそも出来るのでしょうか。過去の人物について、あたかも科学の実験のように、「客観的」に「ありのままの姿」を再現するとは、一体どのような事態を指すのでしょう。何せ直接彼と接したプラトンやクセノフォン、あるいはエウクレイデスやアンティステネス、パイドンといった小ソクラテス学派の人々は、「客観的」ソクラテス像をつかんでいたのでしょうか。つかんでいたのなら、彼らのその後の生き方が、かくも大きく異なっていたというのはなぜでしょう。

哲学者に限らず、およそ人間の生き様を「客観的」に「正確に記述」する事だけが歴史である等と主張する歴史家はいないと考えられます。今想定した同時代に生きた人々であっても、とらえ方は人それぞれ異なっています。「記述」出来るのは、彼が何時生まれ、どこに行き、誰と会い、何時亡くなった等という事位でしょう。

テュキュディデスに見る客観性

この時代ばかりでなく、古代世界を代表する歴史家のテュキュディデスの描くペロポネソス戦争(アテナイ対スパルタの戦争、431-404BCE)記には、ペリクレスを始めとする多くの政治家や将軍の演説が収められています。著者は同時代人でしたが、戦争中の失策によってアテナイから20年間の追放刑を受けました。ですから直にペリクレスなどの演説を聞いてはいないのです。彼に演説を伝えた報告者も、一言一句正確に記憶し書き留めたかどうかは分かりません。しかしそれらは(少なくとも今は)問題ではありません。

note トゥーキューディデース『戦史』(上・中・下、岩波文庫、ただし絶版か)

当時の記録手段としては蝋を引いた板、あるいはパピルスが用いられたと推測されるが、いずれにせよペンやノートと同等に考えてはいけない。また彼が実際に生で聴いた演説は5分の1程だという。演説の中には数十年後に書かれたものまである。

しかしそれにも関わらず、テュキュディデスの語り聞かせる(例えば)ペリクレスの演説は、当時の状況を活き活きと伝えています。その描写はある程度は正確だったでしょうが、問題は次の点です。つまり実際になされた演説を(伝聞であろうとも)聴いて、その要点と言うか、何が戦争の行く末に大きな影響を与える事になるのかと、テュキュディデスが「とらえた」部分が、結果として強調されて記述されたであろうと考えられるのです。

クセノフォンの伝えるソクラテス像

クセノフォンの『ソクラテスの弁明』は彼の裁判を主として扱いながら、その後の牢獄での脱獄拒否や死に際しての彼の落ち着いた態度にまで触れている作品である。クセノフォンは、ソクラテスは生きているより死ぬ方が良いと考え、神(ダイモニオン)もまたそれを認めたので死んだと記しています。そしてその原因の第一は「megalêgoria=大口たたき」にあると考えていたようです。

ソクラテスはその中で、今まで生きてきた生き様こそ最善の弁明なのであって、法廷で改めて弁明を行う事を「ダイモニオン/ダイモーン」が禁じているのだと述べます。この事が訴状にあった「国家が崇める神を崇めず、別の新しい神を導入し、若者たちを堕落させた」という主張に有利に働いたのは間違いありません。

ダイモニオン・ダイモーン(Daimonion,Daimôn)とはプラトンの『ソクラテスの弁明』(31D、40Aなど)にも記される「神的」お告げの事。人の守護霊とか神の子であったらしいが(『クラテュロス』397C-8B)、本来は神そのものを指した語である。人と神との中間に位置する「神的な者」の声をソクラテスは聞く事があったようである。プラトンと異なりクセノフォンによると、ダイモーンはソクラテスに「何かをするな」といった禁止だけではなく、積極的に「〜をせよ」と命じたらしい。

また彼を良く思わない市民たちにとって、彼の友人のカイレポンがデルポイに祭られている予言の神アポロンから、「人間の中でこの私よりも自由な人間も正しい人間はおらず、節度に満ちた人間もいない」というお告げを得たと法廷で公言した事も、裁判には不利に働いたと記しています。その上ソクラテスは自分を神とまでは言いませんが、人々よりも遥かに優れていると神が認めてくれたと言っています。

若者たちをソクラテスが堕落させたという点に関しては、彼らの方からソクラテスに近づいてきたのであると主張しています。そして彼らがそうした理由としてソクラテスは、自分は人間にとって最大の善である教育に関して最も優れた者であると断言しています。

ソフィストの議論に少しでも馴染みのある者がこうした「弁明」を聞いたならば、ソクラテスの語り口がソフィストの弁論と、非常に良く似た論の進め方をしている事に気付きます。現代人であってもそうした類似性に気付くのですから、当時のアテナイ市民の多くは、そうしたものとして記録に留めたクセノフォンと同じ様な感想を持ってソクラテスの「弁明」を聞いた事でしょう。

しかしクセノフォンはソクラテスを単なるソフィストとしてではなく、恐らくは立派な信念を持ってはいるが、法律慣習を含めた世間の常識に迎合しない、孤高の人格者として描いています。彼の信念は立派であったが、その立派さが世間に受け入れられず、クセノフォン自身を含めて十分に理解されなかったために、死刑となってゆく姿がうかがえます。世間とクセノフォンにの違いは、そうした人格者に対する「直感的敬意」を払うか払わないか、という点にあると思われます。

ソクラテスを「人格者」としてとらえ敬意を払う、というのが「健全な常識人」クセノフォンのソクラテス理解であったと思われます。しかしそれでソクラテスの全てを描いているのでしょうか。

ソクラテスと生

喜劇作家のアリストファネスはソクラテスを重要な登場人物として用いて『雲』という作品を残しています。そこでは当時アテナイで活動していたソフィストたちに対する、アリストファネスに代表される旧来の道徳観を持つ良識派による反発を見ることが出来るように思われます。

note 彼と同じ時代に活動したソフィストたち

note 『雲』に描かれたソクラテス

多くの市民にとってソクラテスはソフィストの一人と見なされていたのかも知れません。しかし全ての市民がそうであった訳ではありませんでした。とはいえ彼は依然として「謎の人」であったのでした。彼はお金を取って教える事をしなかった。何のために被るであろう非難をものともせずに、ソクラテスは人々を捕まえては問いを発し続けたのであろうか。


これまで見てきた人々によるソクラテス像が満足の行くものではなかったとすれば、愛知者ソクラテスを十分に理解出来たのは同じ愛知の精神を持っていたプラトンではなかったのかという推測が残ります。

note ソクラテスの簡単な要約

この「簡単な要約」にも書いたように、ソクラテスは有名な無知の知を主張したと言われています。しかし彼が無知であるなら、自分が人々に問いかけ続けた理由も彼は知らなかったのでしょうか。そうとは考えられません。端的な「知」ではないにせよ、彼には何らかの「見通し」があったはずです。「簡単な要約」ではそれを人間の「魂」への信頼といった表現で示唆しました。それを表現を変えて言えば、ソクラテスの「信念」とか「予測」「予想」と言っても良いでしょう。

人間の魂には、ソクラテスの「問答法」を用いて「配慮」し「吟味」を重ねる(すなわちエレンコスを行う)ならば、「知」という「徳」へと至る可能性があることを彼は信じ疑わなかったと思われるのです。魂への信頼という彼の「信念=思い」は「知」ではない、単なる思惑(doxa=ドクサ、と言ってプラトンに依ると端的な知識と対照されます)に過ぎなかったのかも知れません。しかしそれが「思惑」ではなく「知」であるならば、彼は自らの「何も知らない」という立場に矛盾した事になってしまいます。

しかしながら、こうした「思惑」や「信」を否定し去る事も出来ない所に、ソクラテスの謎があるように思われるのです。彼は「人間としての知」(『ソクラテスの弁明』23A)としては、「無知の知」だけを認めていたと思われます。その一方で、なお対話を死ぬまでやり続ける彼の生き方の根底に、今述べたような「思惑」「信念」を想定する事が必要になってくると思われるのです。

そうした「信念」に基づいて、彼は「魂を出来るだけ善いものとする」(『ソクラテスの弁明』29E)事に一生を費やすのである。金銭や評判、地位に気を配りながら、魂のあり方を問題にしない生き方は、徳(アレテー)を欠いた彼の非難する生なのです。

ソクラテスと死

ソクラテスは裁判にかけられて死刑になって死にました。紀元前399年の事です。ソクラテスについて、分かっている数少ない事実が彼の死に関する記録です。彼は「若者たちを堕落させ、神々を信ぜずに新しいダイモーンを導入した」かどで裁判を受け死刑に処せられました。こうした経緯が先ほど述べたクセノフォンの報告通りだとすれば、これではまるでソクラテスは自殺したかのようにさえ思えてきます。老年を迎える(と言っても既に70歳ですが)恐れから、いっそのこと死を穏やかに迎える方がよりましな事だ、と彼が言っているようにさえ思えてきます。

しかしクセノフォンのソクラテス理解が当時の世間の常識からの視点であるとすれば、この点に余り心配しなくても良いのかも知れません。しかしそれでもなぜソクラテスは、自らの無罪を法廷で明らかにするにしては余りに無謀な「弁明」をしたのかの説明が出来ないとも思われます。

彼がそうした「弁明」によって、明らかにしたかったのは何でしょうか。これが最大の「謎」かも知れません。彼の弟子たちにとっては、ソクラテスの死はどうしても納得の行かない出来事でありました。だからこそ弟子の一人プラトンは『ソクラテスの弁明』を書いたのです。「謎」があったからこそソクラテスの生前していた事に意味を見出し、その死に意味を与えようとしたのかも知れません。

『雲』のソクラテス

ストレイプシアデースは派手好きで金遣いの荒い妻と、乗馬に入れ込んでいる息子のペイデッピデースに手を焼いている。父親は借金の返済に苦しんでいた。そこでソクラテスの話を聞きつけた父は、息子を彼の元へ入門させて「弱い論を強くする」術を習わせ、借金の取立ての訴訟に勝って金を払わずに済まそうと計画するが、息子は裸足で貧乏臭いソクラテスに入門するなど嫌だと言って逃げてしまう。

仕方なく自ら父は入門を決意する。ソクラテスの道場では怪しげな議論や、天体観測、地下の探求が行われている。ストレイプシアデースの何をしているとの呼びかけに答えるソクラテスの第一声は「空を歩み、太陽を観察している」であった。ソクラテスは雲を女神と崇め、祈りを捧げて女神たちと会話している。

入門を果たした父であるが、年齢ゆえか一向に弁論は上達しない。家に帰って息子をやり込めてやろうとしても失敗する。そこでどうにか息子を引っ張ってきて、ソクラテスの道場に入門させる。ソクラテスは息子を一人前のソフィストに仕上げると請け負う。

息子がソクラテスから「弱い論を強くする」術を学んだので、もうこれで借金を返さずに済むと安心した父であるが、息子のペイデッピデースに自分の大好きなアイスキュロスの悪口を言われ、軽蔑しているエウリピデスをたたえられて腹が立つ。おまけに息子に殴られてしまう。(悲劇作家のエウリピデスもソフィストの仲間と考えられていた)息子はソクラテスから習った弁論で父をやり込めて、さらには母にまで手をかけると言い出す始末だ。

父の怒りは、息子を神々さえ信じなくさせてしまったソクラテスに向かう。父ストレイプシアデースは、ソクラテスの道場に火を放ち焼き放ってしまう。

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『プラトン I 』(中央公論社、世界の名著) 田中美知太郎による解説に続き、『リュシス』『饗宴』『メネクセノス』『ゴルギアス』『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』『クレイトポン』が収められており学生諸君にとっては便利であろう。


プラトン『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、『パイドン』(各社文庫に収蔵)

クセノフォーン『ソークラテースの思い出』(岩波文庫)、『ソクラテスの弁明』(講談社学術文庫『ソクラテスの弁明、クリトン』末尾に収蔵)

アリストテレス『形而上学』(既出)

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(既出)

岩田靖夫『ソクラテス』(勁草書房)

『ギリシア文学を学ぶ人のために』(世界思想社)

『プラトン書簡集』(角川文庫、但し絶版か)


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©SAITO Toshiyuki