西洋思想の源流から見る倫理学

アリストテレスという人

アリストテレスについては二回目の講義の中で要約しておきましたので、確認しておいて下さい。彼の倫理思想を見る際に主として扱われるのは三つの倫理学関係の著作(『ニコマコス倫理学』『エウデモス倫理学』『大道徳学』但し最後のものは弟子の作)、政治学となります。しかし例えば『形而上学』でも「理論的学の目的は真理であるが、実践的な学の目的は行ない(行為)である。」(2巻1章)などの参考となる考えが散見されます。

イデアの否定

師プラトンの立てたイデア、とりわけ全てのイデアの存立根拠である「善のイデア」を、アリストテレスはキッパリと否定します。彼は善を多様で個別的と捉え、それらをただ一つの善のイデアで説明する事は出来ないと考えました。

note『形而上学』1(A)巻9章と13(M)巻4-5章にイデア論批判が紹介されています。イデア論を立てると多くの難点が生じると彼は考えます。ここに主なものを紹介します。

アリストテレスの考えによれば、個々の「あるもの」は固有の本性(physis=ピュシス)を持っています。このピュシスに従って活動する時に「あるもの」は善いのです。人間のピュシスは、「ロゴス(ものを考える力)を持つ動物」ですから、ロゴスを十分に働かせている時に人は善くある事になります。

イデアを否定したアリストテレスは、直接我々が知るところの具体的な個々のもの(個物)に目を向けます。もちろんアリストテレスにあっても、真の知の対象は永遠で不変な非物体的なものです。しかしそれをプラトンのように、この物体の世界から切り離された(と少なくともアリストテレスは理解した)ものとは考えなかったのです。

我々の住み暮らすこの世界は、感覚を通じて知られる個物の世界です。そこから離れて「ある」ようなものが、どうして個物の源であるのだろうか、と彼は考えたのです。

アリストテレスは感覚される個物(tode ti=或るこれ)の内に最も基本的な実在(実体、ousiaといいます)を認めるのです。そして他の学問分野と同様に倫理学の考察においても、人々にどう思われているか、から出発するという探求方法をとる事になります。

四原因

アリストテレスは事物が「いかに」生ずるかの考察にあたって、その「いかに」を四つの原因(理由・根拠)に分類し検討しています。

質量因(hylê, to ex hou)
そのものが作られている素材 causa materialis
形相因(eidos)
そのものに特定のあり方を与え、他ならぬそのものにしている形 causa formalis
運動因(archê tês metabolês ê tês kinêseôs)
生成や運動を起こす源 causa efficiens
目的因(telos, to hou heneka)
生成や運動の目的 causa finalis

可能態と現実態

アリストテレスの思想における、もう一つの基本的概念に可能態と現実態があります。両者においては、現実態が常に可能態に優先(論理的に先行)しています。何らかの「あり方・姿」(=形相、エイドス)を実現している個物にとっては、そのエイドスが現実態であり、いまだそのエイドスを受け入れていない単なる質料はその個物の可能態であると言えます。

たとえば、女神の立像というエイドスを受け入れた大理石にとっては、その女神の立像というエイドスが現実態であり、そのエイドスを受け入れる前の大理石の固まりにとって、女神の立像は可能態としてその大理石に「あったことになります」。

いかなるエイドスも与えられていない素のままの大理石の固まりには、女神の立像の他にゼウスの胸像、ポセイドンの坐像など、様々なエイドスが可能態としてあることになります。

倫理学の特性

倫理学が扱う分野には、数学と同等の厳密性を求めるべきではないとアリストテレスは考えます。それは倫理学の対象が「他のようにはありえない」すなわち必然的なあり方をしているのではなく、「多くの場合(hôs epi to poly)」そうであるとか「他の仕方でもありうる(endechomenon hê allôs echein)」から、そうした対象に応じて、学問の方も厳密性の次元が異なると考えます。

価値の体系

『ニコマコス倫理学』の冒頭は、「どのような技術(technê)や探求(methodos)も、行為(prâksis)も選択(proairesis)も同じく、何らかの一つの善いものを目指していると考えられる」と始まります。その上で目指している目的(telos)には序列があると言います。例えば医術の目的は健康であり、軍を率いる術の目的は勝利であるが、それらを統括する術の目的の方が個々の目的よりもより望まれるものです。個々の目的は統括する術の目的を得るために追求されるからです。

そうした行為の目的の序列を次々に辿ると、最終的には最高善にまで到るとかれは考えます。この最高善を知る事こそ人生において極めて重大となります。そしてこの最高善は、他の技術を統括する最高の技術の扱うものとなります。その技術とは「政治術」です。従ってアリストテレスにとって、倫理学は政治学に従属する事となります。

この最高善をアリストテレスは「eudaimonia=エウダイモニア」と呼びます。エウダイモニアとは「幸福」と訳されますが、「良く生きること」と訳した方が適切かも知れません。

参考文献

アリストテレス『ニコマコス倫理学』


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www.saiton.net/ethics/07.htm

©SAITO Toshiyuki