西洋思想の源流から見る倫理学

知性的徳と倫理的徳

人間としての立派さである「徳(aretê=アレテー)」には、二種類あるとアリストテレスは考えます。彼は魂を「知性的部分(to logon echon)」と「非知性的部分(to alogon)」に二分します。

note ロゴス(logos)とは一般には「言葉」ですが、本来は物事の「真理」を表します。そこから「真理」を説明する「言葉」であるとか「真理」を知る能力としての「知性・理性」という意味も派生してきます。

その上で、知性的部分(正確にはto dianoêtikonとnous=思考の能力)を持つのは人間だけであるとされます。dianoêtikonとは、一般的な「ものを考える事」や「ものを考える能力」を指します。対してnousは「心」や「心の働き」を指し、その点ではdianoêtikonとの違いが無いと思われるかも知れません。ここではその意味でしょう。

しかし時には時間空間の中でなされる人間の思考であるdianoêtikonに対して、それを超えた仕方でなされる(すなわち神の思考)を指してnousと呼ぶ事もあることを覚えておいて下さい。

非知性的部分には以下のものが考えられています。植物は「栄養的部分(threptikon)」だけを持ちます。「感覚的部分(aisthêtikon)」「欲求的部分(orektikon)」「場所における運動の部分(kinêtikon kata topon)」です(De Anima=『霊魂論』2巻3章414a29-b19)。

note プラトンのところでも、魂の「部分」という表現を使いましたが、もちろん魂は非物体的なものですから、それに対して空間の広がりを前提するような「部分」という表現は便宜上のものです。アリストテレスでは、より明確に「能力・機能(dynamis)」という言い表し方をします。

以上のような魂の区分に応じて、その優秀性=徳についても、知性的(dianoêtikê aretê)と倫理的なもの(êthikê aretê)の二つに分けられることになります。

徳の獲得

知性的徳は教育によって身に付くと考えられます。一方、倫理的徳はethos=修練・鍛錬(一般には習慣と訳されていますが、正確ではありません)を通じて、繰り返し努力する事が必要です。そうしたethosを通じてêthos(性格)が形成されるのです。

中庸

アリストテレスは徳について以下のように語ります。「倫理的徳は人間の行動と情動に関わり、全ての情動と行為には快・苦(好き・嫌い)が伴なう。ゆえに徳は快・苦(好き・嫌い)に関わる。」(2巻3章1104b13-16)

知性的徳は教育によって得られるが、倫理的徳はそれと同様には教える事が出来ないというのは、プラトンの考えと同じである。プラトンは徳は教えられないと考えていました(『メノン』『ゴルギアス』等を参照)。倫理的徳は鍛錬によってのみ身に付くとアリストテレスは考えていたのです。

いま仮に「鍛錬」と訳したギリシア語はêchthaiです(E.N.1104b11)。これまで多くの場合にこの元の語であるethosは習慣と訳されてきましたが、単なる習慣ではêthos=善き性格は形成されません。善き性格が形成されるには、繰り返し心がけて行為を行ない、いわば鍛錬とも言うべき努力が必要であると考えられます。しかしこの鍛錬は強制されて行うものであってはならないのでしょう。人は喜ぶべき事を喜び、苦痛と感ずべき事を苦痛と感じるように鍛錬されなければならないのです(2巻3章)。

こうして獲得された「善き性格」に基づいて善い行為がなされるためには、その時その時における道徳的選択がカギとなると思われます。「選択」に関してアリストテレスは「中庸」を保つ必要性を説いています。

我々にとっての中庸

彼は「数学的な中間」と、「我々にとっての中庸」とをはっきりと区別します。数学的中間点は行為を量として捉え、その単純な中間点を指すと考えられます。対して我々にとっての中庸とは、各々の行為の中に存する一定の適度さを指します。そうした一定の適度さを見分けるには当然の事ながら「ある種の知」が必要とされるでしょう。その「知」を彼は知性的徳を成立させる「理論知」とは区別し、phronimosとかphronêsisすなわち「実践知」あるいは単に「思慮」とします。

こうした点を捉えて、普遍的価値を求めたプラトンに対して、アリストテレスは個別的価値を認めたと要約する事も可能かも知れません。ここにプラトンが主張した「善のイデア」にまで行き着くような絶対的価値基準を否定する、アリストテレスの倫理学の特徴と限界を見る事が出来るのではないでしょうか。

プネウマ

このアリストテレスに関する短い紹介の最後に触れるのは、彼の魂論の中で重要な働きを演ずるPneuma=プネウマについてです。魂と肉体を結び付ける媒体をアリストテレスはプネウマと呼びました。それは天界にある第五番目(四つとは火・水・風・土)の物質であるアイテール(aithêr)を含むもしくは似た物質です。プネウマは魂内の欲望の運動に影響され、肉体にそれに応じた動きを生み出す媒介質という働きをします。

note アイテールは偽プラトン作の『エピノミス』に登場します。よってアイテールを創作したのはプラトンではなく、彼以降のアカデメイアの人々ではないかと想像されます。

また反対に感覚器官が魂に影響を与える際にも、心臓や血管中にあるプネウマを通じて影響が及ぶと彼は考えました。

こうした魂的な非物質と、肉体のような物質を仲介する存在というのは、後にお話するストア派や新プラトン派にも直接の影響を与える事になります。

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©SAITO Toshiyuki