西洋思想の源流から見る倫理学

プラトン主義の復興

アカデメイアの第6代学頭アルケシラオス(前3世紀)以降、プラトンの創設した学園は懐疑派の牙城となりました。彼らはソクラテス的精神を拡大し、知らない事すら知らない域にまで至るのです。彼らは取り分けストア派に対する攻撃者でありました。

skeptikoiすなわち文字通りには「思慮深い人々」を、そのまま近代語にすると懐疑主義の哲学者たちを意味する。彼らは全てを疑い、何一つ積極的に主張する事はなかった。その派の創始者はピュロン(BCE365-275ca)であり、ペルシアのマギたちやバラモン僧とも交わったと言われている。彼の思想は紀元2世紀のSextos Empeirikos=セクストス・エンペイリコスによって伝えられている。

あらゆることを疑い、積極的主張はその手前でepochê=エポケー(判断停止・保留)とされ、未確定、判断不可能とされた。彼らにはそうした判断停止が理想とされた。

アカデメイアでは、当時勢力を拡大しつつあったストア派への批判からもう一つの懐疑主義的傾向の思想が、勢力を伸ばした。そこではソクラテスの吟味の精神は異様に膨張させられ、あらゆることは疑われ、積極的主張は独断論として攻撃された。

出来事
紀元前387学園アカデメイアの創設
348プラトン死去、甥のスペウシッポス学頭に
339クセノクラテス学頭に
315ポレモン学頭に
268クラテス学頭に
アルケシラオス学頭に
156カルネアデス学頭に
88-84第一次ミトリダテス戦争(リュケイオンの文献、ローマに持ち去られる)
紀元267ヘルリ族の侵入(アテナイ焼かれる)
396ヴィシゴート族の侵入
431シュリアノス学頭に
485プロクロスからマリノスに学頭交代
529ユスティニアヌス帝の勅令により学園閉鎖。最後の学頭ダマスキオス。ベネディクテゥス、カッシーノ山に修道院設立。
532ダマスキオス、シンプリキオス、イシドロスらペルシア王コスロエスの許へ赴くが、失望し帰国。
〜7世紀アテナイ、アレクサンドレイアなどで研究・教育続く。

中期プラトニスト

異民族の侵入により荒廃したアテナイとアカデメイアを再建し、思想的にもプラトンの正統な後継者を自認する人々が紀元後5世紀に中心となります。彼らはプラトン派と考えていましたが、その思想内容は少なからぬ面でプラトンその人とは異なっています。

そうした人々を新プラトン派と呼びます。そして彼らに先立つ紀元2世紀のプラトン哲学の思想家を「中期プラトニスト」と呼びます。この「中期プラトニスト」達や新プラトン派から、キリスト教はその神学の基礎を築く材料を多く負っていると推測されます。

彼らはペリパトス派、すなわちアリストテレスの流れを汲む思想と、ストア派の思想とに対して、ある場合には影響を受け、別の場合には批判攻撃しています。

この時期のプラトニストには、Attikos=アッティコス、Plutarchos=プルタルコス、Albinos=アルビノス、Apuleius=アプレイウス、Noumenios=ヌーメニオスといった人々の名前が知られています。

神学

彼ら中期プラトニストは、存在の最高の階層に知性としての神を据えました。イデアは知性によって捕らえられる対象(すなわち知性によって知られるもの)ですから、この知性(すなわち知るもの)の内容とされます。知るものとしての知性は、知られるものであるイデアの原因でもあります。

その知性を神と同一視する点で、プラトンと彼らは異なっています。プラトンでは善のイデアが神に相当するのでしょう。しかしその善のイデアは、それ以外のイデアを「内容として」持ってはいませんでした。善のイデアはイデアを知るものとしての知性に知る力を与え、イデアどもには真理性を与えるという意味で原因であったのです。

(『国家』508E参照)

後のプロティノスと異なり、中期プラトニスト達は知性を超えた源である「一者」を想定しませんでした。しかしそれであっても、この世界と知性との間には遠い隔たりがあると考え、知性の下に「第二の知性」を立てました。

この発想の源はプラトンの『ティマイオス』で語られる「作られた神」としてのこの宇宙にあると考えられます。

(たとえば『ティマイオス』34A8-B1、40D4)

一方宇宙を作る者は「製作者(Dêmiourgos=デーミウールゴス)」と呼ばれ、イデアを見ながらこの世界を作るとされます。しかしこの表現はあくまで比喩であって、実際にはイデアの持つ能動性を「人格化」したものが、デーミウールゴスであるという解釈が現時点での私の考えです。

しかしヌーメニオスではデーミウルゴスが第二の知性とされ、他の中期プラトニストでは星々や守護霊(ダイモーン)が第二の知性とされています。この点に関しては様々な解釈があったようです。

悪の起源

プラトンでは、イデアを不完全に写すが故にこの世には様々な悪があるとされます。この点をもう一歩進めて、ではなぜこの世での「写し」が不完全になるのかと考えます。それは物体(sôma)において「写し」がなされるから、と考えました。

ヌーメニオスによると物体それ自体が悪であるとされますが、その他のプラトニストたちは物質に内在する悪しき(宇宙の)魂が原因であると考えました。

悪しき「宇宙の魂」については『法律』896E、898C、899Bが問題となる。しかしプラトン自身が明言している訳ではない。

宇宙に善と悪の二つの原理があるという思想上の立場は、グノーシス派として知られています。彼らによれば質料それ自体だけではなく、物質の世界は悪の力によって作られたとされるのです。この考えをプロティノスは拒絶します。(後述)

中期プラトニストの倫理

宇宙に関する見解と同様に、彼らの倫理思想にはプラトン的のもの、アリストテレス的なもの、ストア派的なものが入り混じっているのが見て取られます。しかしその基本はもちろんプラトンの思想です。

彼らはストア派とは異なり、魂をプラトンに倣い三つの部分から成ると考えます。また人生の目的を、彼らが考える神=善のイデアへと似る事にあるとします。

人間の魂は神からこの世界に遣わされた、もしくは自らの意志でやって来たものという見解を取ります。魂それ自体にはそれが元々属していた世界へと戻る力があるので、人は哲学によって魂を浄めてその力を発揮させ、肉体から離れて元の世界へ帰る事が目標になります。こうしたプラトン的思想がキリスト教の思想家達に大きな影響を与えたのは言うまでもありません。

しかしそれ以上に彼らは、プラトンとアリストテレスの思想が調和し両立可能であると考えました。すなわち、アリストテレスの神である「不動の動者(自らは動かず、他のものどもを動かす者)」は存在するものどものうちで、最も完全で最高の位置を占めます。そして永遠で現実的で非物質的で不変なものとは知性に他ならないと彼は考えます。完全であるが故にその知性は、自らの知る内容さえも自分自身の内に持ちます。自分の外のものを知る者は、その点で欠けている事になるのです。

こうしたアリストテレスの神についての見解に、プラトンのイデア論を当てはめると、プラトニストのものが出来上がります。上記の神を善のイデアと考え、その他のイデアをその知る内容としてそれの内に置くのです。その上で第一の知性の下に第二、第三の知性を据え、この世界との関わりを担当させます。

しかし彼らのこうした見解は、キリスト教が一神教であるという事を想い出すならば、更なる進展を求められる事になるでしょう。様々な知性的存在を「超越」した地位に全ての源である「一なるもの」が立てられねばなりません。

廣川洋一『プラトンの学園アカデメイア』(岩波書店,1980)

John.Dillon, The Middle Platonists, 80B.C. to A.D.220, Revised edition with new afterword, London, 1996

Sextus Empiricus, Outlines of Scepticism, Translated by Julia Annas and Jonathan Barnes, Cambridge, 1994

R.T.Wallis, Neoplatonism, Second Edition, London, 1995

Thomas Whittaker, The Neo-Platonists, Cambridge, 1928, (Reprinted in 1987)

A.A.Long, Hellenistic Philosophy, Second Edition, London, 1986

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©SAITO Toshiyuki