倫理の話

西洋思想篇 その2

イオニア哲学

アリストテレスの『形而上学』(けいじじょうがく)によると、最初のギリシア哲学はギリシア本土ではなく、エーゲ海をはさんだ対岸の小アジアでBCE600ごろに始まったとされています。アリストテレスによると、世界の始まりに関する最初の学問的探求は、万物の根源(=アルケー)を捜し求める形で始まったという。

地図 ギリシアの地図

イオニア地方で当時最も勢力があったのがミレトスというポリスで、その地にタレース、アナクシマンドロス、アナクシメネスという三人の哲学者が現れた。三人はそれぞれが師弟関係にあったと言われている。

『形而上学』は英語ではmetaphysicsと言います。Physicsは今日では「物理学」を意味しますが、元々は自然界全体を対象とする学を指していました。その前にmetaが付いているのですが、metaはギリシア語でbefore(〜の前)という意味の前置詞です。ですから自然界の「前」あるいは自然界の「源」の世界を対象として研究する学をmetaphysics(ギリシア語ではTa Meta Ta Physica)と言います。日本語の「形而上学」はこの世界を越えた領域を「形而上」というところから付けられています。対してこの世界を「形而下」という事もあります。しかし元々はアリストテレス著作集を編さんした際に、自然学の前に今日『形而上学』と呼ばれる著作を配置しただけ、とも言われています。

タレース

ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』によると、タレースは初め政治に関わり後に様々な分野で活躍したと言われている。星座の「小熊座」を発見したのは彼であり、天文学の分野での活躍が知られている。彼が日食を予言してミレトスの人々を驚かせたとか、直角三角形に内接する円を描いてみせたといった話もその一端であろうか。また月が明るいのは太陽の光を反射しているからだとか、二等辺三角形の底辺の両端角が等しい事を語り、またピラミッドの高さを手許の杖が作る影の長さから計算したといった話も伝わっている。

参照 ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』上・中・下(岩波文庫)

彼の言葉のうち最も広く知られているのが、「万物の始原は水である」という言葉であろう。また宇宙は命を持っていて、神々に満ちているというのが、次に知られている。魂が不死であると言った最初の人だとも言われている。石でさえも「生きている=自分で動く」事を証明するために、マグネシアの石と琥珀をこすって磁力(もしくは静電気?)を発生させる実験をしたという話もある。

そして何よりアリストテレスによって「哲学の祖」(983b20-21)と言われている。

しかしH.DielsとW.Kranzが編集したDie Fragmente der Vorsokratiker(DKと略される)『ソクラテス以前の哲学者断片集』によると、著作ののうち真正断片に分類されるB断片に、「水」に関する記述はない。しかし彼がそういった事を言っていない訳ではなさそうで、アリストテレスを始めとする人々がその教説をタレースに帰している。

『形而上学』の中でアリストテレスは、タレースがそう主張した理由として、「あらゆるものの栄養となるものが湿っている事、熱そのものさえ湿ったものから生じた」点を推測している。そして大地は水の上に浮いているとタレースが主張していたと考えている。

注 アリストテレス『形而上学』上・下(岩波文庫)

アナクシマンドロス

タレースの親戚で弟子でもあったアナクシマンドロスは、太陽の年周運動を観測する装置を考案し夏至・冬至を発見したという伝承から、師と同じく天文学に通じていたと思われる。また宇宙の中心に太陽があると考えていたらしい。天球儀や世界地図を初めて作ったとも言われている。

彼の主張で最も良く知られているのは、「万物の始原は無限定なもの(ト・アペイロン)」であるが、この表現は新プラトン主義者シンプリキオス(6世紀の人)によるアリストテレスの『自然学』への注解に最も明確・典型的に表明されている。すなわち1000年も後の時代の学者による「伝聞に基づき解釈が入った」ものが、最も良く知れれている事に留意しなければならないだろう。

その元になっている最古の資料はアリストテレスであり、彼の『自然学』や『形而上学』に言及が見られる。両著作を総合すると、始原とアリストテレスが呼ぶものにアナクシマンドロスは「限定のないもの」が当たると考えていたようである。「無限」が「(ありとあらゆる)限り」が「無い」という本来の意味であるならば、それを「無限」と言っても良いだろう。

『自然学』では「すべてのものは始原であるか、始原から生じたものであるかのどちらかであるが、無限であるものの始原はありえない。またそれは生まれる事も滅びる事もなく、始原であるように思われる。〜略〜アナクシマンドロスはそれを生まれる事も滅びる事もないと言っている。」としている。

注 Phy.Γ.4.203b6-13=DK A15,B3

あらゆるものの始原は、そこからあらゆるものが生ずるのだから、そのもとになっているものが何らかのものであってはならない、という理由でこのように考えたのかも知れない。

ト・アペイロンから「この宇宙の全て」が生まれると彼は考えたのであるから、その中には「生物」も当然含まれる。この点に関わる断片を挙げておこう。


引用 「・・・はじめ人間は異種の生物から生まれたとも言っている。他の生物は生まれるとすぐに自力で育つようになるが、人間だけは長期にわたる養育を必要とし、そうしたものであるから、最初は決して生き続けられなかっただろう」(断片番号A10)

引用 「最初の生物は刺のある薄皮をまとって湿ったものの内に生まれ、歳を重ねるに従って、より乾いた場所へと進み出たが、薄皮が破れると、短い期間しか生きられなかった。」

引用 「熱せられた水と土の中から、魚または魚に似た生き物が生まれたと考えた。人間はこの生き物たちの中で生まれ、成長するまで中に守られて育てられたのであり、それが分かれて、男と女が現われ初めて自生できるようになった。」

引用 「・・・最初の人間は、鮫のように、魚の体内で生まれ育てられ、十分自生できるようになると、はじめて外に出て陸地に上がった。」(以上三つA30)

アナクシメネス

アナクシマンドロスの弟子であると伝わるアナクシメネスは、始原を「空気」と言ったらしい。

「空気」が薄くなったり(希薄化)、濃くなったり(濃密化)する事によって、さまざまなもの生成を彼は説明しようとしたと思われる。例えばシンプリキオスによると、「薄くなるとそれは火になり、濃くなると風となり次いで雲となって、さらに濃くなると水に、そして土、石になる。こうしたものからその他のものも生じる」と説明している。少なくとも「希薄化」「濃密化」という考え方はアナクシマンドロスの発案であったらしい。

彼は空気を神々(星々の事)と考えた(A10)。また別の証言では、魂は空気である(あるいは空気からなる)と言ったいという(A22,23)。

初めて知を愛し求めた人たち

アリストテレスの「驚く事を通じて人々は今日でも、かの最初の場合でも、知を愛し求め(philosophein)始めるのだ」(Met.982b12-13)という言葉は、古代哲学を特徴付けるものとして、哲学史の教科書では有名になっている。しかしアリストテレス自身は上記の彼らと共に、「神々の事を語った人々」(theologêsantes)をも挙げている。

「神話好きな人」(philomythos=フィロミュートス)はある意味で「知を愛し求める人」(philosophos=フィロソフォス)である、と彼は言っている。(982b18-19)きっかけは何であれ、驚きいぶかしがる事から知は求められ始めるのである。

水が始原であると語ったのは、何もタレースが最初ではなかった。この事はアリストテレスも知っていたし(983b27ff)、始動因を最初に求めたのも詩人のヘシオドスだと言っている(984b23ff)。

始動因とは、運動がそこから与えられる元のこと。神は始動因であると考えられていた。アリストテレスはその他に、物の材料となる質量因、運動の目的であるもの(それを彼は「善」と言うが)目的因、あるものを他ならぬそのもの(これをそれの「本質」と言う)にしている形相因の四つを原因と考えた。これらを四原因と言う。

ではなぜタレースをもって哲学の祖とアリストテレスはしたのであろうか。ミレトスの哲学者たちが宇宙や世界について語る時、詩人たちのように古くからの神話を単に受け継ぎ、霊感を受けて語るのではなく、自ら(たとえそれが我々から見て幼稚に思えたとしても)考え、その結果を主張している点で次元を異にしているのである。

また水にしても空気にしても、普通に我々の身の回りにあるものでもって世界を説明する原理としている点も見逃せない。この事はすなわち彼らが、学術的観察の視点から世界について考察している証拠でもある。非日常的神性を持ち出すことなく、世界の始原をありふれた水と言う大胆さの裏には、彼らなりの自然観察に基づく自信があると考えられるのである。カオスと言わず水と言う断絶をもって、新たな知的活動の始まりが宣告されたのである。

この相違をもってこそアリストテレスはタレースを哲学の祖とし、ミレトスから偉大な一歩が歩み始められたとするのである。


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©SAITO Toshiyuki