倫理の話

西洋思想篇 その3

イタリアの哲学

イタリア半島南部とシケリア(シシリー)島には、古くからギリシア人が入植してきてポリスを建設していた。この地域をマグナ・グラエキア(Magna Graecia)と呼ぶ。エーゲ海東岸のサモス島から南イタリアに移住してきたと伝えられるピュタゴラスが、半島の土踏まずに位置するクロトンに教団を設立した。

ピュタゴラス派の哲学を語る際に無視できないのが、オルペウス教との関係であるが、両教団とも教義は謎が多く未だ不明な点が多い。

また南イタリアのエレアというポリスで生まれ、叙事詩の形式で新たな哲学を開いたパルメニデスは、もう一つの伝統の創始者である。彼の弟子と伝えられるゼノンメリッソスを含めて、彼らをエレア派と言う。

ピュタゴラス教団

ピュタゴラスはBCE570頃、小アジア沿岸のサモス島で生まれた。BCE530頃イタリア半島南部の町クロトンに移住し、そこで宗教団体を作った。そこで彼は20年ほど活動したが政争のためメタポンティオンに移りその地で亡くなった。

初期ピュタゴラス派の人々は本を書かず、教えも部外者に話してはならないという戒律があったため、彼らの教えを正確に再現する事は困難である。しかしいくつかの証言や逸話を通じて、ピュタゴラスの姿を推測する事は出来る。

第一に、彼は伝説的「博学」の人として知られていたらしい。これは彼らが輪廻転生を抜け出し、魂を清めるための手段として学問を重視していた事を推測させる根拠となている。

彼らの数学分野での具体的研究は、音楽においてなされたと推測されている。弦楽器の弦の長さとそれが作り出す音程の関係の内に単純な比を見出し、そこに何がしかの神秘性を認めていたのである。弦の長さが2対1の場合には1オクターブ、3対2の場合には5度、4対3の場合には4度という三つの音程を発見したという伝承は、いわゆるピュタゴラスの定理も3対4対5という整数比を元にしている事を知る時、発見の前後関係を推測させる証拠となるように思われる。

すなわち和音(すなわち調和の取れた音)を作り出す音階相互が、単純な整数比で表せる点に何がしかの神秘性を感じたと思われる。更にこの単純な整数比は、あらゆるもののうちに見られる三角形においても見られる事を発見すると、彼らの確信はますます深まったであろう。

その上調和の取れたもの(調和=kosmosを持つ)は、音階や図形だけでなく、天体の運行においても見て取れる。ここに到って彼らの確信はますます固まり、宇宙全体が単純な「数」に支配されている、あるいは単純な「数」というそれ自体は目には見えないが、知識を得た者だけが関知できるものの「神秘的力」が世界を支配している、という信念に到ったと推測される。

数学を学び、極める事によって、この世界を背後から支配する力を見極めるならば、魂の迷いは消え「浄められ」、永遠に続く苦難のサイクルである輪廻転生から抜け出す事が出来ると考えたのであろうか。

また一般には路傍で打たれる犬を見て、止めよ、その魂は私の友人のものだから、という有名な逸話は恐らく作り話であろうが、魂不滅と輪廻転生という教説が元になっていると推測される。数学だけが魂を清める手段であると彼らが考えていた訳ではない。伝えられるピュタゴラス派の戒律には、次のような禁欲生活の教えがあったらしい。

1.豆を食べてはならない。2.落ちたものを拾ってはならない。3.パンをちぎってはならない。4.パンをまるのまま食べてはならない、5.心臓を食べてはならない、などが伝えられている。

こうした禁欲的生活の発想も、彼らの信念に根ざしていると考えられる。つまり魂にとって身体に関わるものは、究極的には苦難をもたらすものに過ぎない。

エレア派

パルメニデスはBCE515ころ、南イタリアのエレアに生まれた。彼は韻文で自らの思想を書き残した哲学者である。彼の用いた叙事詩の形式をダクテュリコス・ヘクサメトロス(dactylikos hexametros)という。これはダクテュロスと呼ばれる「長短短」のかたまりを六組連ねて一行の詩文を作成する事から付けれた。「長短短」は「長長」というスポンダイオス(sponde)で代用する事も出来る。ホメロスやヘシオドスの韻律と全く同じ形式で、彼は哲学思想を語ったのである。

彼の著作は比較的多く現存していて、160行の詩が伝わっている。ディールスとクランツが編集した断片集の番号で1が序詞、2から8が第一部、8から19が第二部である。

序詞を見ると、この詩が女神から真理を聞いて学ぶ形である事が分かる。丁度ヘシオドスの詩がムーサたちからinspire(吹き込む、霊感を与える)されたものとして語られるのと同形式であることに気付く。以下の第一部と第二部では、それぞれ「真理の道」と「思惑(おもわく)の道」の語られる事が予告される。

「ある」と「あらぬ」

パルメニデスの断片の内、最も注目されるのは「あるものはあるのであり、あらぬものはあらぬ」(断片6)、「あらぬものがあるという事は、決して強いられることはないであろう」(断片7)であろう。また「あるは不正不滅」(断片8)であると語られる。

「ある」ものはひたすらあり、「あらぬ」ものが「ある」ことはない。この言明は何を意味するのであろうか。これまで見てきた「愛知者」たちは生成変化するこの世界の始原(アルケー)として、水や空気などを置き、そこからこの世界が生まれたと説いてきた。しかしこうした生成・変化をパルメニデスは認めないのである。「あらぬ」であったものが、「ある」ようになったり、「ある」ものが「あらぬ」ようになるのが生成・変化であるからだ。

厳密な意味で「ある」の名を冠されるものは、あったり無かったりしていたのでは、真の意味での「ある」ではない、とパルメニデスは言っていると考えられる。このように考えると、生成・変化すなわち、運動も否定されるし、世界の多様性も否定されるように思われる。なぜなら移り変わってしまうものは「ある」のではないのだから。彼の考える「ある」は、生成消滅、運動変化を一切しない、ただひたすら「ある」だけの完全完璧な「球形をした塊」(断片8)であるという。

では、パルメニデスはこの世界をどのように見ていたのであろうか。「道に迷った」われわれが、「世界の形成について」(断片8以下)語る第2部については、様々な解釈がある。しかし第1部でキッパリと「ある」と「あらぬ」の区分をしたからには、両者の相互移行を許容するこの世界について説明をしようというのは、本来否定し去られるべきであると考えられる。パルメニデスが「ある」と「あらぬ」の中間に「ありかつあらぬ」「道」を許容しない事を忘れてはならない。それは世の人々が陥っている「思惑」に過ぎない。人々の過ちを失われた第二部の後半で彼は厳しく批判したのではないであろうか。

ゼノン

パルメニデスの弟子であったと伝えられるゼノンは、師と同じエレアの生まれであった。彼は師の教説を擁護するために書物を残したとプラトンは解している。

今日知られているゼノンの「パラドックス」は、「ある」が真理に反して「多」であると仮定した場合に、いかに多くの不合理が生じるかを「背理法」によって示すものと考えられている(『パルメニデス』128C-D)。

以下に運動の否定に関して、アリストテレスの紹介しているパラドックスから二つを紹介しておく(『自然学』Z9)。

アキレウスと呼ばれているもの。最も遅い走者は最も速い走者によっていつまでも追いつかれないであろう。なぜなら追いかけるものは追いつく前に、逃げるものが走り出した出発点に到達しなければならず、したがって必然的により遅いものが、たとえ僅かでも先行し続けるからである。

飛んでいる矢は止まっているというもの。すべてのものは静止しているか、運動しているかのどちらかである。ものが自分自身と等しい所にあるときは静止している。移動しているものは、常に今のうちにあり、すべてのものは今のうちにおいて自分自身と等しい所にあるならば、飛んでいる矢は動かないことになる。

ヘラクレイトス

アルケーを「火」と言い「同じ川に二度入ることは出来ない=万物流転」(panta rhei)と語ったと伝えられるヘラクレイトスは小アジア、エペソスの人であり「謎の人」「闇の人」と言われる。彼の言葉の中で最も注目されるのは、「私は自分自身を探求した」であろう。この自分自身とは「魂」の事であり、それは思考や意識活動といった人間の知的活動の源であった。

「魂」はホメロス以来、生命の源であったがそれを認識・思考・判断の座と位置付けたのはヘラクレイトスであると考えられる。酒に酔う事によって「湿る」と働きが鈍り(断片117)、「乾いている」時には賢く優れている(断片118)と語られる魂は、何より知的活動の面をヘラクレイトスによって際立たせられたと言って良いであろう。

「魂は自己を増大させるロゴスを持っている」(断片115)のである。魂は自らのロゴスによって増大し「共通なロゴス」(断片2)すなわち宇宙(マクロ・コスモス)のロゴスにまで増大する。

彼において我々は、宇宙(マクロ・コスモス)と私の魂(ミクロ・コスモス)が同じロゴスを有する事を見ることが出来る。ロゴスとは非常に広い意味で使われる言葉であるが、ここでは「コスモス=秩序」の基準となる「尺度」を意味しているものと考えられる。そして宇宙は作られたものではなく、永遠なるコスモスであって「永遠に燃える火である」(断片30)と彼は考えたのである。この永遠である「火」は生成と消滅のプロセスを絶えることなく繰り返している。「昇りの道も、下りの道も一つで同じ」(断片60)とは、こうした繰り返しを指すのであろう。

宇宙を支配するロゴスは同時にまた人間を支配するものでもあった。人間の魂が劣ったものとなると「火」は湿り気を帯びてしまう。我々が生きてゆく中で目を向けなければならないのは、自身のロゴスであり宇宙のロゴスであることになる。しかしヘラクレイトスは、宇宙のロゴスから我々の内なるロゴスを見る視点を、それ程明確には語っていないように思われる。宇宙は「火」を元にして永遠のサイクルを繰り返しているのであるが、人間の方はそれを私一人の内で見ると、欲望によって「湿り気」を帯び拡散する方向が強調されているようである。

しかし「ロゴス」に耳を傾ける事が不可能であると彼は言ってはいない。それどころか、「知を愛する者」(断片35)は「目に見える調和より優れた目に見えない調和」(断片54)を求めるのである。「目覚めて」(断片90)、目に見えない内なる魂のロゴスに目を向けるよう呼びかけているように思われる。

エンペドクレス

シケリア島のアクラガスの人エンペドクレスは、パルメニデスの「ある」と「あらぬ」の峻別を保持しながら、この世界の運動・変化をいかにして説明するかに努めた人と位置付けられる。彼は「四つの根(=四元素)」が「愛(フィリア)」と「憎しみ(ネイコス)」によって結合し分離する、という方法で生成と消滅を説明しようとしたと考えられる。

パルメニデスの言う「ある」を、かれは「火・空気・水・土」の四つの根と考え、それら自体は永遠で不変であるが、それらが愛によって結合し、憎しみによって分離する。もう少し正確に言えば、生成・消滅のプロセスに、それぞれ反対向きの方向を与えるのが「愛」と「憎しみ」なのである。

年表

紀元前12世紀  トロイア戦争

紀元前9世紀  ホメロス

紀元前776  第一回オリンピック

紀元前8世紀  ヘシオドス

紀元前7世紀  オルペウス教

紀元前6世紀前半  タレス・アナクシマンドロス・アナクシメネス

紀元前6世紀後半  ピュタゴラス・パルメニデス・ヘラクレイトス

紀元前5世紀前半  ゼノン・エンペドクレス・プロタゴラス・ゴルギアス

紀元前5世紀後半  デモクリトス・ソクラテス・アンティステネス

紀元前4世紀  プラトン・クセノフォン・アリストテレス


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©SAITO Toshiyuki