Boy playing with PC

パソコンのお話

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パソコンとの出会い、導入、ページ制作に関する苦労

秋葉原

せっかくパソコンを使っているのですから、その話題のページも付けてみました。最初の話題は「秋葉原」です。

昨日(2000年5月24日)、秋葉原によってみたら「ロビン電子」が移転していた。日比谷線の出口からワシントンホテルの方に向かって歩く右側の角にあった店だ。この店はPC-ATコンパチブルと言っていた頃からの老舗で、昔ながらのアキバのパソコン屋、という感じで最近になって良さが分かるようになってきていた。中央通りの末広町の辺りに最近移ったようだ。

この店、別に何か言われる訳でもないが敷居が高いと昔は感じていたものだ。70年代にアスキーでバイトしていたUくんは、あんな店と当時は言っていたことを思い出す。ボード類やキーボード、ドライブのジャンクを店先に並べていたのが懐かしい。当時は緑色表示のモノクロ・ディスプレーでぎこちない輸入ゲームを見た記憶がある。アップルII(ただし台湾製コンパチブル)の時代だ。

そういえばT-ZONEミナミの隣にある旧本店の屋上をみたら看板に隠れてまだトヨムラ時代のなごりが見られた。アンテナはもう付いていないが、タワーがまだ立っている。2000年11月からこのビルはツクモのパーツ館になったが、タワーは避雷針になっている。しかしトヨムラ(旧)本店がツクモになっちゃうとは・・・。ちなみにツクモというのは、「九十九さん」が起こした会社だ。

久々に秋葉原に行って驚いたのがパソコンショップの増加ぶりだ。中央通りに面していて一番目に付くのがT-ZONEだろう。バブル華やかだった頃、ダリの宝石を陳列したミナミ美術館何ぞをオープンさせたミナミ電気は名前だけT-ZONEミナミとして残っています。1994年にそのミナミ電気跡が現在の本店になったようです。

CQ誌の広告一覧には「(株)トヨムラ」と今でもなっている事から判るように、元々は「豊村健一さん」という方が横浜鶴見で始めた無線機屋さんです。

その後1986年に、亜土電子と業務提携したりいろいろな資本が入って今の姿になったようだ。無線をやってた頃の印象では、亜土ってそんなに大きな会社だったのか?なのですが。

名前で馬鹿にしてはいけません。北海道のソフト会社ハドソン。覚えてらっしゃる方も多いと思うんですが、CQ誌の後の方の色着きの紙の広告で、ハドソンは出発したんです。その頃から毛虫のキャラクターがあったように記憶しています。札幌の無線機販売店か、と記憶していたんですが、PC88のテープに入ったゲームソフトなんかを無線機屋さんの店頭で見かけたのが、その後の始まりのようです。

マイコン?パソコン?

私とパソコンとの関わりをチョッとご紹介いたします。家に最初にパソコンなるものがやって来たのは、弟の高校入学祝のMSXでした。私の入学祝は英会話のテープとタイプライターだったのに、弟は賢くも?パソコンとステレオを買ってもらったのです。ああ、忘れてました私はその他に、もらったお金でR-390Aを買ったのです。中学の頃近所のOMがR-390を持っていて欲しかったのです。Aの付いていない方はCollinsのメカニカル・フィルター無しで、よりマニアックな通好みのタイプです。残念ながら私のはCollins製ではなくMotorola製でした。

MSXで『ベーシックマガジン』を見ながら兄弟2人で交代でBasicのプログラムを打ち込んではテープにガー、ガー、ピーピーいわせて録音セーブしては単純なゲームに興じたものです。確か機種は横山やすしが広告に出ていた東芝のパソピアでした。

近所のR-390のOMは、KWM-1を使っていて、そこでワンボードのパソコンを見せてもらったのが確か大学に入った前後の頃ですから1977年頃でしょうか。こんなので何が出来るの?という印象でしたが、事実そこから勉強して、そのOM、H氏は名機として名高いエアーバンドレシーバーを設計開発したのですから素晴らしいものです。水晶式受令機がまだ全盛の頃に、PLLシンセサイザーの警察・消防無線レシーバーを設計したのが基礎になっているようです。アナログ式の航空無線受信機もありましたが、その元はTV音声受信機にあると私は見ています。TV用は1台頂きました。警察・消防用のももらいました、ありがとうございます。その受令機はスキャンスピードの速さと感度で、当時群を抜いていたようです。

その頃、年下の友人U君の所でもパソコンらしいパソコンを見せてもらいましたが、記憶媒体は依然としてオーディオ・テープでした。PC-8001だったでしょうか。5インチのフロッピーを使ったシステムを見たのは、80年代に入ってからd-baseIIで組んだ無線のログファイルでした。その時ワードスターというワープロの名前も初めて聞きました。しかし交信した局のリストアップに大変な時間が掛かるのを見て、こりゃ実用にはならんと決め付けてしまいました。そのパソコンのCPUはZ-80でCRTやFDDなどが大きなケースに収まったアメリカ製の一体型でした。

そのオーナーA氏はアメリカ帰りで、家庭用のC64というのも持って帰って来てました。米国コモドール社製でした。初期のファミコンのようにカートリッジを差し替えてプログラムを実行させる形式でした。無線とC64といえばDr DX。DXコンベンションでデモをやる前に少々遊ばせてもらいましたが、何てよく出来たソフトだろうと初めてパソコンに感心したものです。

時代は多少前後しますが、大学生の頃(77〜81年)買えそうで買えなかったのがパソコンでした。日本橋の丸善には洋書を見によく行っていましたが、何せ当時の丸善は今とは違って在庫が豊富で、それを知っている身としては、今の丸善は効率主義の輸入商社みたいです。その丸善に英国のシンクレアーという小さくて黒いマイコンが展示してありました。頑張ってバイトすれば買えそうな値段だったような気もするのですが、結局買わず仕舞いでした。

ワープロ専用機

最初に電子文具が自分のものになったのは、85年ごろでしょうか。サンヨー製のワープロ専用機(ブランドはミノルタ)を論文用に奮発して買いました。起動させるには5インチのフロッピーでシステムと辞書のデータを毎回読み込ませなければならないシロモノでした。印刷は別体式の24ドット熱転写プリンター。ディスプレーはアンバー・イエローという黄色がかったオレンジでした。それが当時値引いてもらって、約30万だったと思います。今なら、、、、なんて考えちゃいけないんですね。

ともかくそれで2つか3つは論文や原稿を書いたと思います。その頃は他社もまあそんなものでした。最初の液晶のオアシスは表示が1行8文字しかなかったし、そんなのを上下左右にスクロールさせて、文章を書いていたんです。ですからCRTできれいな24ドット印字のワープロが30万で買えるのかと妙に納得してた訳です。

しかし毎回フロッピーを(しかも2枚も)読み込ませるのでは、気楽に思い付いた事を打ち込む事は出来ません。そこで数年後ようやく安くなったワープロをもう1台買い足しました。液晶が数行表示出来る型で、確か3、4万円台の普及機でした。これはこれで年賀状の作成やちょっとした案内に活躍してくれました。しかし長い論文のようなものを書くには能力不足で、95年頃東芝のルポを買い足して、普及機は親の年賀状作成専用機となりつい最近まで現役でした。今はこうしてパソコンが手に入ったのでルポが後継の専用機として1年に1度活躍しています。

そうした用途に絞れば、ハードディスクも要らないし表計算さえ要りません。データは住所録だけですし、年賀状以外には同窓会の案内位しか使わないのですから。そうしたら今でも2、3万円で作れるのでしょう。パソコンでもあれもこれも付けて高値安定になっていますが、低価格化がなお一層進めば需要はもっと増えるはずです。

しかしいかんせんルポもワープロ専用機。1文書の長さが400字づめ原稿用紙で40枚が扱える限度です。たまたま幾つかの論文は枚数制限が40枚でして、という事は下書き段階では40枚を越える事になるわけです。仕方なく前・後半に2分してみたり、注を別文書にしてみたりと工夫して使っていました。しかしまどろっこしいのでついに思い切ってパソコンを買うことにしたのです。

20世紀の終わりから21世紀初頭にかけて、東芝はRupoの、富士通はオアシスの生産を打ち切りました。これからは「ワープロ専用機」という言葉を知らない世代が出てくるのでしょう。

富士通FMV

近所のコジマ電気や秋葉原に寄ってカタログを集め、NEC、富士通、IBM、コンパックのデスクトップ機が候補に上がりました。値段以外の条件はMSのOffice2000が付属している事でしたので、Lotusが付いていた2社は落ち、NECか富士通と思ってアキバに行きました。たまたま無線時代から馴染みのツクモに入ったら両方とも在庫がありました。どっちでも良かったんですけど、富士通はセール中(?)で、キャノンのBJF-200がプラス5000円で付けられるというので決めました。さて、パソコンとの格闘が始まります。続きはパソコン格闘記で。

MS-Word2000で"ホームページ"が作れる??

このSITEは当初、Microsoft Word 2000で創り始めました。

Net上を探すとフリーの素材が点在していて、個人で使う分には問題がなさそうなものがかなりあります。

Microsoft ClipGallery というのはなかなか有用です。

バイク(正確には英語だったのでMotorcycle)というキーワードで出てきたものの中にこんなのがありました。

ハーレー型のバイク形からしてリジット・フレームのパンヘッドでしょうか。写真やサウンドもありますので一度のぞいてみてはいかがでしょうか。
キーワードを入れて検索すると様々なジャンルのクリップアートがダウンロード出来ます。ダウンロードが完了すると、自動的にクリップアートのなかの、ダウンロードクリップという場所に収められます。そのクリップアートのプロパティーを見て、名前を付け、関連したジャンルを決めてやれば自由に使えます。何もお金を出してアート集を購入せずとも良いのです。

Wordを使う事にした理由の一つは、Front Page Expressが、少なくとも私には使いにくそうだったからです。アップロードは雑誌に付いてきた無料のFFFTPというソフトを今は使っています。ただし更新するファイルを自分で指定してやらなくてはならないので、チョッと厄介です。無料ソフトの中にも更新したファイルだけをアップロードしてくれるものがあるので、近い内に試してみようと思っています。 ただ慣れの問題という気もするんですが。

細かな加工はSEND TOワード・パッドを入れてそこに送って書き込んでいます。News Groupでアドバイスを受けた通り、数日前からHTML辞典の類が本屋に行くと目に付き始めました。少し立ち読みしたんですが、なかなか面白そうなのではまっちゃうかも。

IEのツール>インターネットオプション>プログラムでHTMLの編集ソフトを変更出来ますが、知識をつけてからでないと。今はWordの御気楽さに甘えてしまっています。

Wordでも表示>HTMLソースとすると、Microsoft Development Environmentというのが立ち上がって、ソースが読めます。この意味を知るためにはやっぱり辞書を手に入れなきゃいけないかな。何でもただで済まそうと思っちゃいけないのかも。チョッと見るだけなら同僚の川又先生が教えてくれたように、図書館という手もありかなあ。最近の公立図書館にはパソコン関係の本が結構あるそうなので。

等と好い加減な事を書いたので、少し反省してHTMLについて調べる方法は?と考えてみれば、3秒後には答えが出ました。ネットがある!

という訳で、少し調べるとあるわあるわ。心配だったリンクの著作権についても、確証が得られたのでリンクを張っておきます。それぞれのリンク先はざっと見て回ったのですが、パソコンの事はパソコンで調べられるんですね。私のもう1つのサイトの方の人文系はお寒い限りですが。

先ずは、kanzakiさんの『30分間HTML入門』辺りから。

立教大学古瀬ゼミ私家版HTMLチュートリアル(作者転勤のため閉鎖

あるいは『簡単で正しいHTMLの書き方』

タイトルが「?」ですが『マイホームページへの道』

といった所が入門的でしょうか。じっくり読んでこれから勉強します。

当初、Word2000でこのページを書いていたのですが、保存ファイルが巨大になってしまうのは経験者ならご存知の話し。何せ一行ごとにフォント名やフォントサイズを書き込んでいるのです。対策としてMicrosoftに優れもののフリーソフトがありました。HTML Filterです。これをインストールすると、ファイルが小さくなります。という事はページの表示も素早くなる訳で早速導入しました。このソフトを使用すると、Wordで作成したHTMLに含まれるOffice固有のマークアップが削除されるので、Webサーバー上の領域が小さくなります。外観には影響ないようです。

またInternet Explorer以外のブラウザーではかなり意図しない見え方をします。なぜでしょうか?正しいHTMLで書いていれば、誰からも後ろ指は指されません。正しく見えないのはその人のブラウザーのせいであると自信を持って反論できます。

今週(2000.6.11から)は、このサイトをワードから本格的なHTMLによるものへと、書き換えている最中です。大体仕事から帰ってきてから1日1ページの割合いで書き換えています。内容の食い違いについては、後日直してゆく予定ですので、もうしばらくお待ちください。

HTMLについては、HTML初歩の初歩にまとめました。




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©SAITO Toshiyuki