イオニア哲学6

はじめに哲学した人々

アリストテレスの「驚く事を通じて人々は今日でも、かの最初の場合でも、知を愛し求め(philosophein)始めるのだ」(Met.982b12-13)という言葉は、古代哲学を特徴付けるものとして、哲学史の教科書では有名になっている。しかしアリストテレス自身は上記の彼らと共に、「神々の事を語った人々」(theologesantes)をも挙げている。

「神話好きな人」(philomythos=フィロミュートス)はある意味で「知を愛し求める人」(philosophos=フィロソフォス)である、と彼は言っている。(982b18-19)きっかけは何であれ、驚きいぶかしがる事から知は求められ始めるのである。

水が始原であると語ったのは、何もタレースが最初ではなかった。この事はアリストテレスも知っていたし(983b27ff)、始動因を最初に求めたのも詩人のヘシオドスだと言っている(984b23ff)。

始動因とは、運動がそこから与えられる元のこと。神は始動因であると考えられていた。アリストテレスはその他に、物の材料となる質量因、運動の目的であるもの(それを彼は「善」と言うが)目的因、あるものを他ならぬそのもの(これをそれの「本質」と言う)にしている形相因の四つを原因と考えた。これらを四原因と言う。

ではなぜタレースをもって哲学の祖とアリストテレスはしたのであろうか。ミレトスの哲学者たちが宇宙や世界について語る時、詩人たちのように古くからの神話を単に受け継ぎ、霊感を受けて語るのではなく、自ら(たとえそれが我々から見て幼稚に思えたとしても)考え、その結果を主張している点で次元を異にしているのである。

また水にしても空気にしても、普通に我々の身の回りにあるものでもって世界を説明する原理としている点も見逃せない。この事はすなわち彼らが、学術的観察の視点から世界について考察している証拠でもある。非日常的神性を持ち出すことなく、世界の始原をありふれた水と言う大胆さの裏には、彼らなりの自然観察に基づく自信があると考えられるのである。カオスと言わず水と言う断絶をもって、新たな知的活動の始まりが宣告されたのである。

この相違をもってこそアリストテレスはタレースを哲学の祖とし、ミレトスから偉大な一歩が歩み始められたとするのである。

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