履歴

学歴

  1. 埼玉県立春日部高等学校卒業 (1977年3月)
  2. 学習院大学文学部哲学科卒業 (1981年3月)
  3. 学習院大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士前期課程修了 (1985年3月)
  4. 学習院大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程退学 (1989年3月)

職歴

  1. 都内私立男子中学・高等学校男子部社会科非常勤講師(1983年4月−1986年3月)
  2. 都内私立女子中学・高等学校社会科非常勤講師(1989年4月− 2005年3月)
  3. 学習院大学文学部非常勤講師(古典ギリシア語文法、上級古典語[講読]、哲学演習)(1991年4月−2000年3月)
  4. 埼玉県内私立男子中学・高等学校社会科非常勤講師(2005 年 4 月 - 2007 年 3 月)
  5. 日本大学文理学部非常勤講師(倫理学)(2001年4月− 継続中)
  6. 千葉県内福祉系専門学校(倫理学)(2004 年 4 月 - 継続中)
  7. 日本医療科学大学(倫理学)(2004 年 4 月 - 継続中)

所属学会

  1. 学習院大学哲学会
  2. 西洋古典研究会
  3. 日本哲学会
  4. 日本西洋古典学会
  5. 大学での教養教育を考える会

春日部高校

埼玉県の東部、春日部市にある県立普通科の男子校。よくある「文武両道」を謳っているが、私は主に「武」の方ばかりであった。古くは俳人の加藤楸邨が教師をしていたらしいが、田舎ののんびりした学校だった。在学中は水泳部に所属し、主に平泳ぎで大会に参加。1年の時の県新人戦で優勝。2年と3年の時は関東大会に出場した程で、「文」とは無縁であった。しかし単なる「運動馬鹿」に成りかかっていた時に、文学に嵌り小説を読み漁る。そういえば、水泳部の顧問は国語の「小野先生」だった。先生の口癖は「競り合ったら負けるな」だった。個人的に面識はないが、スポーツ・コメンテーターの青島健太が同級。

学習院大学哲学科

文学に物足りなさを感じていた時に出会ったのが「カント」であり、西洋哲学であった。今思えば漠然とした哲学への憧れから「哲学科」を選んだのだった。何故学習院に入ったかであるが、二者択一の結果だった。つまり入試に受かった学習院と上智から、カトリックは好きじゃないしと何となく決めた訳だ。そうして入った大学だが、当時は哲学者らしい哲学者の先生が学習院にはおられた。小松茂夫先生、森田良紀先生、門脇卓爾先生らは、絵に描いたような哲学者だった。偶々新入生の時に先輩に誘われて、アリストテレスの『形而上学』をLoebの英訳で読む「自主ゼミ」に参加したのがギリシア哲学との出会いであった。また一般教育科目の哲学を法政の加来彰俊先生が担当しておられたのも、もう一つの要因だった。確か田中美知太郎先生の『哲学初歩』に沿ったような講義だったと記憶している。カントをするつもりが、そんな訳でいつのまにかギリシアに引きずり込まれてしまった。

学習院でのギリシア哲学

ギリシア語は安村典子先生(現在は金沢大学に居られる)に教えて頂いた。初級文法の後は、購読で『イリアス』『メノン』『弁明』等を読んで頂いた。私が学部の3年になる時に、北嶋美雪先生が学習院にいらした。初年度は『新約聖書』、ブルーノ・シュネルの『精神の発見』、その後の数年間で、『仕事と日々』、『メデイア』、『オイディプス王』、ディールス・クランツ編『ソクラテス以前哲学者断片集』等を演習で読んで頂いた。博士課程の最後の頃はプラトンの『法律』が大学院演習のテキストだった。

左近司先生

左近司祥子(さこんじ さちこ)先生の授業に初めて出たのは学部の2年生の時だったろうか。古代哲学史や哲学講義に出席させて頂いた。また先生の演習では卒論で扱った『ゴルギアス』の他、『テアイテトス』『ソピステス』『パイドロス』等のプラトンやアリストテレスの『命題論』等を読んで行った。

プロティノス

プロティノスの大学院演習が始まったのは、私が修士に入った年だった。当時は、Loebも完結していなくて近代語訳は仏・独か、古い英訳しかなかった。勿論田之頭先生らの全集も未刊で、一部が『世界の名著』に入っているだけだった。確か初年度は『三つの原初的なもの』から読み始めたと記憶している。その後今日に至るまで演習は続いているのだが、博士課程の後半位から嫌になって出なくなってしまった。フランスから CNRS のデニス・オブライエン博士がいらした時も、ゼミに出ていなかったせいか詳細を案内してくれる人もなく、すっかり仲間はずれで更に嫌になった。愚痴ばかり言っていても仕方ないので、何故プロティノスが面白くないのかを次に考えてみよう。これに関しては実際に何年もゼミに出てみて、嫌になった実体験を持っている人はそれ程多くないと思うので参考になると思う。

2000〜2001年度のプロティノス演習

ここ数年、学習院のプロティノス演習(大学院科目)で読んだものを紹介しよう。第4エネアスの第7論文『魂の不死について』に続いて第8論文『魂の肉体への降下について』である。かつて第6エネアスの『有るものの類について』で挫折した経験を持つ私としては、再入門に最適な論文であったと思っている。1999年度は、左近司教授の研修年度であったため代わって中大路理津子講師が主催して演習が続いた。読み始めたのは『一なるもの、善なるもの』であるが、昨年1年間で第2章までしか進まず(ただし昨年の初めは魂関係の論文の総復習に春先は費やしたので実質1年間で3章は進んだ事になる)、2000年度は第3章から読み進め、2001年度前期で読了した。個人的には、話の主題が「上」の方へ行くに従って、ついて行けなくなりがちである。

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何故プロティノスはつまらないのか?

プロティノスのギリシア語は簡単だと言う。しかし、何を以ってして簡単と言うのか?プラトンで言えば、私の読んだ限りでは『ティマイオス』、『政治家』、『法律』、『ピレボス』は、『クリトン』や『パイドン』より難しい。これはギリシア語の文章自体が凝っていて難しいのと、テキストの未整備による異読や難読箇所に拠ると共に、内容が難しいので日本語に出来ても直ぐには理解出来ないのだ。この意味でプロティノスは『政治家』や『ピレボス』以上に難しい。

難しくても哲学者にとって刺激的な作品は多いのであって、プロティノスは難しいからつまらないのではない。プラトンの難しさとプロティノスの難しさの間には、両哲学者のスタイルの違いがあるように思われる。プラトンはイデア論を取ってみても、イデア「論」と言うが「定説」であるとか「定まった体系」らしきものが、見え隠れはするものの、無いかのようにさえ思われる程さまざまな提示をしている。その原因の一つは彼の執筆のスタイルである「対話篇」にある。「対話」であるから当然相手がいる訳で、対話相手の関心や理解力に応じて提示の仕方も変わってくるのは当然であるとも言える。

一方プロティノスの方は、いかにも哲学の論文といったスタイルで著作を残している。実際に講義したスタイルに近いものであろう(この事はポルピュリオスの『プロティノス伝』から裏付けられる)。講義において毎回違う事を言っていては鋭敏な聴衆から非難が寄せられるだろう。しかしそうした著作のスタイルだけではなく、両者の思想そのもののスタイルが違っているのである。プロティノスは言うまでもなく、極めて体系的に自らの思想を語るのである。体系的に語っているということは、聞く方も彼の体系を一旦理解してしまえば、先まで読まなくてもこの問題には彼ならこう答えるはずだ、と推測が可能になるのだ。ただタマゴが先か、ニワトリが先か、という問題と同じで、現実にはそう簡単には行かないのだが。

しかしある程度プロティノスの哲学に馴染んでくると、問題そのものがどうであるかはさておいて、こうくればこうなる式に正解が出せてしまうのだ。事情は他の体系的哲学者の場合も大同小異であろう。こうした事情をかつて私は「プロティノス文法の学習」という表現で非難した事がある。一定のルールさえ身に付けてしまえば、問題そのものの持つ意味が多少分からなくても、体系内では齟齬のない解釈が可能になるからだ。何故彼はそう考えたのかを理解したいのに、そういう場合は何時もそういうものだから、という答えでは「面白い」はずがない。問題そのものの意味を考えたいのに、「文法」で皆かたずけられてしまうので「つまらない」のだ。

プロティノスを読む意味

プロティノスが生まれたのは紀元205年であり、270年に65歳で亡くなったと伝えられている。彼が『エンネアデス』に収められている著作を著したのはローマにおいてである。帝国は五賢帝の時代(96-180年)が終わり、彼が成人した以降の時期は衰退期に入る。この時期の哲学の主流は言うまでもなくストアであり、アテナイにはアカデメイアが未だあったが、懐疑主義に大きく傾いていた。フィロンやアンティオコスでさえ、ストアとの対決を通じて本来のプラトニズムからは乖離していた。中期プラトニズムと呼ばれる1世紀から2世紀にかけての思想については、未だ研究が充分なされているとは言い難いが、アッティコス、アルビノス、ヌメニオス(彼はプロティノスよりも後の時代だが)等の様々な思想が混沌としていた時代を経て、すなわち中期プラトニズムを下地として、プロティノスがいるのである。

中期プラトニズムに関する有名な The Middle Platonists の著者である、John Dillon 氏が2001年に来日された。この本は77年に出版されたものだが、96年に新たに30頁程の AfterWord が付いて Duckworth からペーパーバックで出ている。(ISBN 0-7156-1604-8)

従来プロティノスに取り組む研究者のかなりの部分が、キリスト教との関わりから入ってきてその側面からプロティノスに関心を抱いているように思われる。そうした問題意識を否定するものでは決してないが、プロティノス自身が言っているように、彼がプラトニストである点を再確認しておかねばならない。彼の考えでは、そしてこの点は左近司教授の指摘でもあるが、プラトンの思想を突き詰めてゆけばプロティノスの思想になる面のある事には同意せざるを得ない。歴史的事実としてキリスト教徒や古代、中世更にはその後の哲学者達でさえ、プラトンといえばプロティノスを始めとするネオプラトニストを通じたプラトン像を以ってして、プラトンと考えていたのだ。

もちろんそうした過程の中で歪められたプラトン像が形成されたと考えて、直にプラトンが語っている事から彼の思想を捉え直そうという研究の意義を否定するものではない。しかしまたプラトンがはっきりとは語っていない事柄も多いのである。彼にとっては明白な前提があったから語らなかったのか、彼の視点からは問題とならなかったから語らなかったのか、気付いてはいたが彼には解決出来なかったのか、いずれにしてもプラトンが語った事で全てが済んでしまってはいないのである。

そう考える時、(全面的ではないにせよ)プラトンの思想を更にもう一歩突き詰めて考えた哲学者としてのプロティノスを、プラトニストとして主題に据える意義があるように思う。

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古典語学習

学習院では初めの6年間「古典ギリシア語初級」を、その後の2年間「古典ギリシア語中級」(大学院共通科目、院生が取ると「上級」と扱われる)を、最後の1年間は「哲学演習」(大学院共通科目)でプラトンの『ゴルギアス』を担当した。古典語の学習がいかに困難なものであるかは改めて書くまでもないが、完全な独学は残念ながら我が国の現状では難しい。欧米圏では言語の類似性から先ずラテン語を学び、その後にギリシア語を始める事によって、適切な指導者が得られれば、かなり若い時期から習得が可能なようである。

そうした人々を対象にした様々なテキストが用意されており、また大学においても夏季集中セミナーの類がネット上でもアナウンスされている。こうした環境の違いはいかんともしがたいが、大学でなくとも各地のカルチャースクールで古典語が開講されているようであるので、教師について学習を始める事は可能であろう。これではアドバスにならないので参考になる書物を幾つか紹介したい。練習問題を順に解いてゆく練習帖形式のテキストの他に持っていると便利なのが系統立った文法書であろう。

『ギリシア語文法』 高津春繁 著は一時岩波から復刻されて入手可能だったが、既に入手は困難なようだ。

『ギリシア語文法』 田中美知太郎・松平千秋 著は今でも手に入るのだろうか。内容は岩波全書の『ギリシア語入門』を組み直したような内容なのだが、初心者には薦められる。

そうなると英語の文法書を探さねばならない。辞書でさえ英語なのに文法書まで英語では、ますます敷居が高くなる。とはいえ隅から隅まで読み尽くさなくても良い、と最初は思って頂いて頑張ってもらうしかない。

標準的なのは
Greek Grammar, by H.W.Smyth, Harvard University Press (ISBN 0-674-36250-0)
邦貨で5000円前後で洋書店で求められる。

上記の田中・松平の英語版のようなレベルなのが
A Primer of Greek Grammar, by Abbott&Mansfield , Duckworth (0-7156-1257-3)=ハード (0-7156-1258-1)=ペーパー

これの類書の中でお勧めなのが、
Elementary Greek Translation, by Hillard&Botting (0-7156-1654-4)で、初歩の段階から文章を読ませようとして工夫している。完全な語彙集付きで文章を読みながら文法が学べる。

Duckworthから近頃再版された
Syntax of the Moods & Tenses of the Greek Verb, By W.W.Goodwin (1-85399-555-X)は少々高級だが役立つ。

受験勉強に慣れた可哀想な人には出現頻度順にまとめられた語彙表として
Homeric Vocabularies, by Owen and Goodspeed University of Oklahoma Press 等が案外好評かも知れぬ。いかにもアメリカ式の合理性を感じさせられる。

初級の勉強を一応終えられた方の中には、簡単なテキストの講読に進まれるのが良いと諸先生方は考えておられるようだ。しかし現実には文法で1行の例文しか見たことがない学習者が、分詞や代名詞だらけの長文をいきなり見せられると拒絶反応を示す事が稀にではなくみられる。この辺が我が国の古典語教育の一大欠陥であって、優秀な学生だけ残れば良いとする、エリート意識の表れである。田中・松平で「戸が開いた」だの「兵士がひっくり返った」だのと読んできた学習者が、いきなり本物の文章に向かわされてはたまらない。かといって2度も単調な初級文法をやるのは、無意味ではないにせよ退屈の極みである。残念ながらそういう例を今まで少なからず見せられてきた。そうした学習者にはギリシア語作文が文法事項の整理に役立ち相応しいと思われる。田中松平にもギリシア語作文の練習問題があるが、独学では添削者がいないと無効である。そこで模範解答付きのギリシア語作文練習問題を探したら以下のものが見つかった。

章ごとの簡単な文法事項の説明の後、練習問題が添えられているのが
Greek Prose Composition, North&Hillard Duckworth, (ISBN 0-7156-01283-2=hard,0-7156-1284-0=paper)
であり、解答集が同じくDuckworthから出ている。
Key to Greek Prose Composition (0-7156-1527-0)

もう少し高級な作文をお望みなら、
Sidgwick's Greek Prose Composition (0-7156-1675-7=paper)が良い。

解答集は
Key to Sidgwick’s Greek Prose Composition(0-7156-1696-x)である。

シドウィックでは、変化は一応覚えたがシンタクスやイディオムの知識がない初級修了者向けに、前半で詳細な説明が与えられている。後半にはギリシア語作文があるがいずれも難問である。前半の解説中の作文から段階を追って勉強してゆかないとならない。しかし解答と共に見るだけでも面白い文章も多い。

イディオムの学習は英語で強調されている通り有益であるが、その際助けになりそうなのが
Greek Phrase Book, H.W.Auden (0-1756-1467-3=hard,0-1756-1468-1=paper)である。


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© SAITO Toshiyuki